FAN VOICEファンからの声

株式会社TBM 最高顧問
一般財団法人 日本総合研究所名誉会長
一般財団法人 社会開発研究センター名誉会長
ニュービジネス協議会初代理事長
多摩大学名誉学長
事業構想大学院大学名誉学長
初代宮城大学学長

一大学教授として“起業の成否”に研究関心を集中していた若い頃の私は、幸いは早々と起業の大成功者であった松下幸之助さんとか本田宗一郎さんといったその道の一大成功者だった多くの事業家の方々の知遇を得て、企業経営の“本質”についていろいろ教えをいただいた。その過程で私は、単に“成功者の方々”だけでなく、“成功”を目指す若い事業家たちの話しも聞きたいという気持ちが自然に高まり、通産省の協力も得て「ニュービジネス協議会」と名づけた公益法人の創設に努力した。そして、その誕生後は初代理事長まで引き受けて、数多くの若手事業家たちとの交流を通しての研究に多くの時間を過ごし、以来今日まで数十年間私は、大小各種の事業家と会い知り合い、年齢を超えた交友を楽しみながら“生きた企業経営”を学びつづけてきたつもりだ。だから、自然に山﨑君ともめぐり合い、長い間交際を深めて来たわけだね…。

そうだそうだ、思い出した。あの席で、「どんなビジネスを…?」と君に尋ねると、「石灰石を原料に、ある台湾の企業が開発した“紙”に近い新製品を輸入して“ストーンペーパー”という商品名で販売しているが、品質には大いに問題があるので、将来はもっと限りなく紙に近い製品を自社で開発したい…」と君から聞いたその途端に、「こりゃ、面白い発想だ」と思わず僕は君に惹かれたわけだ。すでに僕は長い間、大量の木材パルプと大量の水を使って大量に生産・消費されている現在の“紙”の限界を、あたかも自分自身にかかわる大問題のように懸念しつづけてきたものだから、君の返事にすぐ共鳴し、君を心から激励した次第だ…。

山﨑君の構想には感銘を受けたが、それを実現するための技術がまだ完成していない段階だったから、何よりも先ず、「今後相当な開発資金が必要だ」と感じた。しかし米国の“ベンチャー・キャピタル”のような逞しい金融機関が発達していない日本では、ベンチャー型企業のいくら画期的な開発ですら、初期段階でそれを積極的に支援してくれる金融機関はなかったと言っていい。残念ながら、「今も、無い」と言ってもいいが…(笑)。そこで僕は山﨑君に、「先ず、国の補助金制度に応募するよう」にと勧めた。一昔前と違って日本でも現在は、有望な革新的商品開発事業に対しては、国の支援制度がそれなりに整ってきていたからだ。…幸いその僕の助言は的中し、結果的には山﨑君が提案した技術は、意外に早く国家レベルでの機関で、専門家の高い評価を受けることができた。…「経済産業省関係の開発補助金を受けられることになった」と山崎君から報告を受けた時点で、「第一関門は突破できた」と僕ははじめてホッとしたものだ…。

山﨑君から、「…パイロットプラントをどこに立地したら…?」という嬉しい相談を受けた時、当時は未だ東日本大震災関連での公的助成プログラムがいろいろあったことが直ぐ僕の心に思い浮かんだので、「白石市などは、どうかね…」と答えた。僕は1997年から4年間、県立宮城大学の初代学長として仙台に住んでいたから、“和紙の里”としての歴史のある美しいこの古都のことがすぐ心に浮かんだのだろう。それに、村井知事をはじめ友人・知人もまだ多いからね…。早速誰よりも先ず知事に直接お電話し、LIMEXプロジェクトのいきさつをお話して協力方をお願いすると、知事は喜ばれ、早速白石市長に話をつないでくださったものだ。そのおかげで、時をおかず白石市の担当者は、宮城県庁の担当者ともども山﨑君とも直接に連絡を取り合いながら、当方の希望に最もふさわしい条件を具備した試験工場の設置場所をいろいろ検討してくれた。振り返ってみると、山崎君との最初の出会いから試験工場の完成までに4年の歳月が流れたわけだが、この種の案件なら、日本ならうまく行っても5年から10年はかかってもおかしくない。いや着想がよくても数々の関門を通りきれないベンチャーの方が多い日本で、LIMEXが意外に早く製造段階にまでこぎつけられたのは、いくら保守的な日本社会でも、「これは、日本のためにも世界のためにもなる」と多く関係者が納得できたからだろう。実に幸いだった…。

LIMEXプロジェクトを是非とも、“勇気を持ちつづけて”大成功させて下さい!そのためにも、今後も関係者の方々ご一同が内外の製造技術だけでなくマーケット事情にも関心を抱きつづけ、常に「LIMEXで次に何ができるか」ということに興味を抱きつづけて下さい。その結果として、内外各地に工場を増設して行くようになれば、ユーザーもどんどん拡がり、業容も拡大しつづけることだろう。現在でさえ、僕がまさかと思う商品にまで紙が使われているから、LIMEXと僕が名づけた“紙”には、無限の未来がある。LIMEXが「21世紀の全世界の人々に希望を与える革命的商品」となることを、命名者として心から祈念している…。

引用:株式会社TBM 創設ストーリーより一部抜粋

株式会社TBMの創業者であり、代表取締役社長CEOの山﨑と野田一夫先生の対談「創設ストーリー」をご紹介します。
https://tb-m.com/company/story/story2/

株式会社TBM最高顧問であり、経済人の多くを虜(ファン)にして離さなかった野田一夫先生は、2022年9月3日に逝去しました。

TBMに革命という使命を宿らせ、LIMEXの産みの親、そして、人柄の大切さやリスクの語源を教えて下さった野田一夫先生には、言い尽くせない恩義を感じております。ご訃報に、当社社員一同、謹んで哀悼の意を表します。

長年にわたる社会への貢献にあらためて感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

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